テヅクリノポテチ

発達障害に関する雑記、鬼のアウトプット  衆目の下で三日坊主を克服したい

発達障害と職業①

続き(あんま繋がってないかも)

世間には、「発達障害に向いている職業」なる情報が蔓延っている。

そんな中、社会に出てすらいない学生風情がバイト経験ごときで「職業」を語る、というのはなんとも笑えた話であるが、それでも自身のケースを書き記し記憶しておきたいと考えるのには理由がある。

 

今でこそ、”障害”とカテゴライズされてしまうほどの器質的問題を自認し、それも「私」として肯定さえもしてしまえるような心境にあるわけだが、自己理解が深まるのと反比例するかのように、過去の「迷い悩む自分」の記憶は薄れゆくように感じている。

かつてのあの、「変わり者な気がする自分」を肯定しているのか否定しているのかもわからない、そんな状態。”良い状態”かと問われれば、良くはないと答える。

が、それも紛れも無い「自分」だったという事実はそこにあるままなのだ。

 

自分を「発達障害」というフィルターを通さず観測していたあの頃に戻れないという事実に対し、危機感というか、寂しさのような気持ちを感じているのかもしれない。

発達障害」の概念を以てした自己理解の瞬間、自身の奥底にあった視点がいきなり第三者として自分を見つめ始めた一方で、自分の中の数多の特性のうちのいくつかが「発達障害」という明快すぎる特性の陰に隠れてしまった瞬間でもあった。

 

だからこそ、そこに辿り着くの前、とりわけ直前の「自己」に関する薄れゆく記憶を書き記しておきたいと考える。

 

ここでなぜ職業の話になるかというと、「自分ポンコツかも」という淡い予感を確固たるものにしてくれたのが、他でもない「労働」の経験であったからである。

他者に対する責任を伴うこの「労働」という行為が、社会から見た私の価値について再思する機会となった傍で、この私のささやかなプライドにオーバーキルをかましてくれたのだった。

 

というわけで、思い返してもその不適合ぶりには笑いを禁じ得ないが、笑えるぐらいには傷も癒えていると解釈し、ここに私のポンコツ労働記を記すこととする。

 

 

2. はたらくADHD

1年間ぐらいだろうか。飲食店のキッチンで働いていたことがあった。

まさに「ADHDに向いていない職業」ランキング上位常連!!!といった感じだ。

が、そんなこと知る由もない当時の私は、まさか自分が単純作業すら(今はそんなこと微塵も思いません)ままならないなどとはと露にも思わずに修羅の如きマルチタスクに明け暮れていたのだった。

 

ADHDが飲食業に向かない主たる要因は、当然「マルチタスク」が多く要求されているという点である。

しかし、個人的には「他人との連携」も同時に要求されているという点が、大きな落とし穴となっているように感じる。

これはASDも併発する自分ならではなのかもしれないが、「コミュニケーションがあることで生まれるマルチタスク」に着目し、2つほど体験談を綴ろうと思う。

 

①雑談というタスク

忙しくない時間には、キッチン同士やホールの陽キャさん方と雑談する機会がある。

ASDこそあれど、あいにく私は伊達に20年間も”普通”ぶっていない。

そんじょそこらの雑談では、「愛想が良く少し控えめのごく普通の女の子」の仮面が外れることはなかった。

が、キッチンでの雑談は平静時の雑談とは一線を画していた。

ここで求められるのは、「漬物を切りながら会話しろ」「揚げ時間を気にしながら会話しろ」

そう、歴としたマルチタスクなのである。

一般的にはキュウリのスライスに脳みその全メモリーを割くことなどあり得ないのだから、「キュウリを切ってるだけの人」=「暇な人」なのだろう。

が、全神経を以てキュウリをスライスしている私は暇などではなく、むしろ繁忙状態とすら言えるだ。

 

例えばそんな私に、「趣味とかあるの?」などと話しかけるとしよう。

平静の時であれば、「うーん(思考)、甘いものとか食べに行きますかね^^」などと答えておくだろう。

”普通”であるだけにとどまらず、話が広がりやすく嘘もないためボロが出ない、<正答>だと思われる。

ところがひとたび「忙しい私」に話しかけようものなら、「えっと、うーん(思考)なんかいっぱいあるんですけどー(思考)、最近はハマってるゲームがあってヴァ、ヴァンパイアサバイバーって言ってぇ、えーと(思考)弾幕ゲーみたいな?すごい爽快感でもうプレイ時間100時間とかなんですよほんとやめらんないからおすすめでぇ!!!(早口)」と、どもる・早口・くどい の3拍子揃ったレベルの高いアスペ回答をオールウェイズ繰り出してしまうのである。

 

余談だが、いつにも増してあらゆる冗談にマジレスをかましていた。

「え、真面目〜w」などといったセリフはASDあるあるだと思っている。

 

そんなやりとりを重ねた結果、記録的速度で化けの皮は剥がれ落ち、「仕事ができないばかりか話も面白くない女」となった私は、気持ち通常よりすこし早めに環境から浮いてしまうのであった。

それにしても、3人で会話している最中に他の2人が会う約束をしだした時には、流石にこみ上げるものがあった。

あいつら、人の心とかないんか?

 

②アボカドの話

また、他人の発言を勝手に悪く解釈した結果、脳のリソースの多くを割いてしまいミスが増えるということも多かったように思う。

その中でも強く記憶に焼き付いている出来事が一つある。

 

私の店では、アボカドの半分を使ったアボ刺しというメニューを提供していた。

残った半分はラップに包んで保管しておくのだが、「アボカドはタネを取ると腐敗が早まる」という情報を小耳に挟んだ私は、タネを取らずアボカドを保管することに命を懸けていた。

 

そして忘れもしないあの日、いつにも増して賑わう店内にはピリついた空気が漂っていた。

そんななか、私の魂のアボカドは相変わらずタネをつけていたわけだが、一つでも無駄な工程を減らすべき状況下、些細なことも目につくというものである。

私のアボカドを見た店長は一言、「チッシネヤ」とつぶやいた。

 

運悪く聞いてしまった私は、もう仕事どころの話ではなくなっていた。

今思えば、私が切ったことは店長には知る由もなかった。単なるストレス発散のためのつぶやきだったのだろう。

が、そんなことに思い至るはずもなく、

 こだわりを否定されたことへの怒り

 「腐敗を遅らせるため」という私なりの意図が伝わらなかった悔しさ

 また無能がバレたという情けなさ

 見捨てられるかもという焦り

などなど様々な感情に脳が支配され、手は震え、呼吸は浅くなっていた。

それからの私はさぞ絶望感溢れる顔で突っ立っていたことだろうと思う。

役に立たないばかりか邪魔なことこの上なしである。

 

当然その日はミス連発からの涙の帰宅と相成ったのだが、今思えば、この出来事は自身の不適合を実感する大きなきっかけだったのだろう。

自身の生きづらさをぼんやり感じていただけの時代は終わり、社会では自身の特性が他者に迷惑をかける可能性があるという事実に目を向け始めた瞬間だった。

 

一方で、不思議なことに打ち砕かれた自尊心は消えてなくなるわけではなかった。

「無能で仕事ができないからやめた」と思われたくないというしょうもないプライドから、退職の前に謎のフェードアウト期間を半年ほど設けたのだった。

学業が忙しくなったという理由に説得力を持たせたつもりだったが、まあバレバレだったことと思う。

つくづく最後まで迷惑なやつである。

 

 

長くなりすぎたため、次回に続く

発達障害と気づくまで

0. なんか人と違う気がする人生

大人のADHDというものは、往々にして大学時代に気づかれることがあるという。

かくいう私も大学生活を通し、今までの人生においてなんとなく感じていた違和感の正体に気がついた人間の一人である。

今でこそ、「発達障害」という属性に関する知識も相まって自身の特性をそこそこ正確に捉えることができていると自負しているが、そこに至るまでの「正体のわからない困難」と向きあう時間を思い返すと、「頑張ったなあ自分」としみじみ感じるばかりである。(とはいえ、自分の特性もとい特殊性に気がつくまでは、その苦労も「大なり小なりみんな抱えている悩み」だろうという認識の方が強かったが、、、)

そんな不毛な時間を過ごす人間が少しでも減るようにというお願いついでに、私自身のケースをここに記そうと思う、、、

 

1. 発達障害と気づくまで

なぜ気づいたのかというとあげ出したらキリがないが、大きく分けると3つの要因があったように思う。

 

①情報が増えた

いつからかはわからないが、「大人の発達障害」が増えた要因として昨今はよく語られている要素である。

が、時代的な要素だけでなく、大学進学という世代的な要素も大きく影響しているように感じている。

 

輝かしき高校時代、皆一律に同じ科目を勉強し、学校生活に励むことが第一目標とされ、大袈裟な話他人の判断基準などせいぜい人柄か学力ぐらいのものであった。

そこで優れていれば自分は他の要素でも優れていると盛大に勘違いし、優れていなくても所詮は「お勉強ができない」程度、それはそれで決定的な欠点と思えるほどのものではないだろう。

ある意味「生徒」という身分に守られた生活の中で、社会生活を送る上でまさか自分が困ることになるだろうとは、少なくとも私は想像だにしなかった。

ましてや「発達障害」などという言葉を目にしたところで、自分事と捉えるほうが難しいのだ。

 

また、これは愚痴になってしまうが(苦手な人は飛ばしてください)、私の母は少し「学歴」というものを重要視していた人種であったように思う。

「いい大学」で質の良い学問の機会を得ることが「正解」であるかのような空気感の中、「いい大学」に入れば好きな仕事を苦労なくこなせるようになるのだろうと(明言されたわけではないが)当然のように思っていた。

そして、おあつらえ向きにお勉強だけはできた私は、どんなに受験勉強を先延ばしにしようと、願書を出し忘れ浪人をしようと、「いい大学」に入るということをクリアできてしまったのだ。自信過剰モンスターの完成である。

 

解き放たれた悲しきモンスターは、当然優秀な学生やアルバイト生活に揉まれ現実を知る、とまぁテンプレのような挫折を味わうのだが、この辺りから私は、今まで聞き流していた「発達障害」という単語を”自身にも関係しうる概念”として認識し始めたように思う。

 

そうなってからは早かった。発達障害に関する情報は自身の中に着々と蓄積され、だんだんと当事者である可能性にも気づき始めた。

それまで「健全な高校生活」を送ることを理由に制限されていたインターネットも自由に使えるようになり、追い討ちのようにバイトのミスや鬼の失言の数々が重なれば、もう精神科受診は秒読みといった顛末だ。

 

まあ、おかげで今では、謙虚(というか分相応?)な自己認識ができるよう意識できているという点では、へし折られたプライドも浮かばれるのではなかろうかと思うことにする。

 

②他人の助けを望めなくなった

両親に学費を払ってもらって通学している以上完全になくなったというわけではないが、個人的には「一人暮らし」をし始めるタイミングで必要としていた助けを望めなくなったと感じている。

 

というのも、発達障害とりわけADHDに必要な助けというのは、主に「監視」であると思う。

具体的に、

・朝寝坊や散らかった部屋を注意してくれる家族

・規則正しい生活を強制させてくれる学校生活、家庭生活

などは、私が人間らしい生活を送るのに一役も二役も買っていた。

また、私は勉強を先延ばしにしようとした時

・他人(リビングの母、勉強を頑張る同級生)の監視下に自分を置く

ことで受験勉強等を乗り切っていたりしたため、以上のことができなくなった時、それまで「なんとなく苦手なこと」だと思っていたことが実は「決定的にできないこと」だったと初めて気づくのである。

 

一人暮らしを始めた私が毎日風呂になど入れるはずもなく、掃除もしないため埃にまみれ、早々に女子大生ならざる存在と成り果てた。

その一方で、今まで10余年も続けてきた習慣(毎日風呂に入る、3食食べて同じ時間に寝る)がこなせないという事実に対し、ASDな私は多大なストレスを感じるという、約束された負のループに陥るのである。

 

余談だが、発達障害の診断を受けた今でも、コンサータを飲まなかった日は風呂に入るまで気力がもたず寝てしまうことが多い。自分が大丈夫だと思っていてもやはり臭っていたりするのだろうかと、戦々恐々とする日々である。

 

③「労働」を経験した

社会人になって初めて発達障害に気づいたという話はよく聞く。

というのも、社会における労働には、「つまずきポイント」がまきびしの如く散りばめられているらしい。

聞くところ、それはもう大学なんぞの比ではないとのことだが、そんな労働を、大学生のうちに体験する機会がある。

そう、アルバイトである。

 

というわけで、次回は涙のポンコツ労働記を具体的なつまずきポイントを交え綴っていこうと思う。

皆様の職探しの一助となれば幸いである。

 

続く

初めまして

変わり者の雑記

私は自分が好きだ。

というと語弊があるが、正確に言うと「自己理解」の作業が好きだ。

 

何かを理解する時、そこに”実感”が伴う時の快感といったらない。

さらに理解の対象が「自分」であった時、その”実感”の精度は限りなく高くなるのだ。

 

私にとって「自己理解」の作業というのは、究極の”実感”という快感をお手軽に得ることができるうえ、「変わり者」の自分を社会に適合させることもできる、まさに一石二鳥の趣味なのである。

 

また一方で、興味の対象が限りなく自分に向いていることとは裏腹に、自分の中の感覚、理論に他人が共感したという事実もまた、たまらなく嬉しいものである。

なんとも矛盾した話だが、「この私」が存在する以上、この不思議な感覚への賛同者を探さずにはいられない。

  

しかし、「変わり者」と言われ続けた私の経験に、感覚世界に、共感など生まれ得るものなのだろうか。

そんなことを考えているうちに、妙案が思いついた。

この世には自分と似た形の脳みそを持った人間がいるらしいのだ。

彼らはマイノリティであるが故、この現象には「発達障害」という名前がついている(ついてしまっている?)

カテゴライズされているのなら活用してしまえ。

 

そんなこんなで、発達障害に関する雑記ブログというようなものを、しばらく続けてみようと考えた所存である。

 

第一目的は自己理解を進める上でのアウトプットであるが、ほんの少しでも共感を提供できたり、あわよくば発達障害で生きづらさを抱える方々のヒントになればと切に願う。