テヅクリノポテチ

発達障害に関する雑記、鬼のアウトプット  衆目の下で三日坊主を克服したい

発達障害と気づくまで

0. なんか人と違う気がする人生

大人のADHDというものは、往々にして大学時代に気づかれることがあるという。

かくいう私も大学生活を通し、今までの人生においてなんとなく感じていた違和感の正体に気がついた人間の一人である。

今でこそ、「発達障害」という属性に関する知識も相まって自身の特性をそこそこ正確に捉えることができていると自負しているが、そこに至るまでの「正体のわからない困難」と向きあう時間を思い返すと、「頑張ったなあ自分」としみじみ感じるばかりである。(とはいえ、自分の特性もとい特殊性に気がつくまでは、その苦労も「大なり小なりみんな抱えている悩み」だろうという認識の方が強かったが、、、)

そんな不毛な時間を過ごす人間が少しでも減るようにというお願いついでに、私自身のケースをここに記そうと思う、、、

 

1. 発達障害と気づくまで

なぜ気づいたのかというとあげ出したらキリがないが、大きく分けると3つの要因があったように思う。

 

①情報が増えた

いつからかはわからないが、「大人の発達障害」が増えた要因として昨今はよく語られている要素である。

が、時代的な要素だけでなく、大学進学という世代的な要素も大きく影響しているように感じている。

 

輝かしき高校時代、皆一律に同じ科目を勉強し、学校生活に励むことが第一目標とされ、大袈裟な話他人の判断基準などせいぜい人柄か学力ぐらいのものであった。

そこで優れていれば自分は他の要素でも優れていると盛大に勘違いし、優れていなくても所詮は「お勉強ができない」程度、それはそれで決定的な欠点と思えるほどのものではないだろう。

ある意味「生徒」という身分に守られた生活の中で、社会生活を送る上でまさか自分が困ることになるだろうとは、少なくとも私は想像だにしなかった。

ましてや「発達障害」などという言葉を目にしたところで、自分事と捉えるほうが難しいのだ。

 

また、これは愚痴になってしまうが(苦手な人は飛ばしてください)、私の母は少し「学歴」というものを重要視していた人種であったように思う。

「いい大学」で質の良い学問の機会を得ることが「正解」であるかのような空気感の中、「いい大学」に入れば好きな仕事を苦労なくこなせるようになるのだろうと(明言されたわけではないが)当然のように思っていた。

そして、おあつらえ向きにお勉強だけはできた私は、どんなに受験勉強を先延ばしにしようと、願書を出し忘れ浪人をしようと、「いい大学」に入るということをクリアできてしまったのだ。自信過剰モンスターの完成である。

 

解き放たれた悲しきモンスターは、当然優秀な学生やアルバイト生活に揉まれ現実を知る、とまぁテンプレのような挫折を味わうのだが、この辺りから私は、今まで聞き流していた「発達障害」という単語を”自身にも関係しうる概念”として認識し始めたように思う。

 

そうなってからは早かった。発達障害に関する情報は自身の中に着々と蓄積され、だんだんと当事者である可能性にも気づき始めた。

それまで「健全な高校生活」を送ることを理由に制限されていたインターネットも自由に使えるようになり、追い討ちのようにバイトのミスや鬼の失言の数々が重なれば、もう精神科受診は秒読みといった顛末だ。

 

まあ、おかげで今では、謙虚(というか分相応?)な自己認識ができるよう意識できているという点では、へし折られたプライドも浮かばれるのではなかろうかと思うことにする。

 

②他人の助けを望めなくなった

両親に学費を払ってもらって通学している以上完全になくなったというわけではないが、個人的には「一人暮らし」をし始めるタイミングで必要としていた助けを望めなくなったと感じている。

 

というのも、発達障害とりわけADHDに必要な助けというのは、主に「監視」であると思う。

具体的に、

・朝寝坊や散らかった部屋を注意してくれる家族

・規則正しい生活を強制させてくれる学校生活、家庭生活

などは、私が人間らしい生活を送るのに一役も二役も買っていた。

また、私は勉強を先延ばしにしようとした時

・他人(リビングの母、勉強を頑張る同級生)の監視下に自分を置く

ことで受験勉強等を乗り切っていたりしたため、以上のことができなくなった時、それまで「なんとなく苦手なこと」だと思っていたことが実は「決定的にできないこと」だったと初めて気づくのである。

 

一人暮らしを始めた私が毎日風呂になど入れるはずもなく、掃除もしないため埃にまみれ、早々に女子大生ならざる存在と成り果てた。

その一方で、今まで10余年も続けてきた習慣(毎日風呂に入る、3食食べて同じ時間に寝る)がこなせないという事実に対し、ASDな私は多大なストレスを感じるという、約束された負のループに陥るのである。

 

余談だが、発達障害の診断を受けた今でも、コンサータを飲まなかった日は風呂に入るまで気力がもたず寝てしまうことが多い。自分が大丈夫だと思っていてもやはり臭っていたりするのだろうかと、戦々恐々とする日々である。

 

③「労働」を経験した

社会人になって初めて発達障害に気づいたという話はよく聞く。

というのも、社会における労働には、「つまずきポイント」がまきびしの如く散りばめられているらしい。

聞くところ、それはもう大学なんぞの比ではないとのことだが、そんな労働を、大学生のうちに体験する機会がある。

そう、アルバイトである。

 

というわけで、次回は涙のポンコツ労働記を具体的なつまずきポイントを交え綴っていこうと思う。

皆様の職探しの一助となれば幸いである。

 

続く